今、道草中なんで・・・

常時道草中なみちるの道草日記

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DHC-6 ツインオッター

ツインオッター機内 ツインオッター電話機

函館空港から奥尻空港まで私達を乗せて飛んでくれたのは、
DHC−6型機、愛称「ツインオッター」だった。

20人乗りの小さな小さなプロペラ機。
機内はマイクロバスよりも狭い。
連絡用の通信機はレトロな黒い受話器。(今は使われていないかもだが)

それでも僅かな滑走であっという間に身軽に離陸し、高度が低いので
下の景色もはっきり見えて、私は到着までの40分間ずっと窓の外を
眺めていたものだった。

この飛行機に乗ることが、今度の旅行の目的のひとつだったのだが
期待にたがわずとても楽しいフライトだった。
天気が良く、揺れがほとんどなかったせいもある。

ところがこの可愛い飛行機、ツインオッターはもうじき日本の空から
姿を消してしまうそうだ。
現在運行しているのはこの1機だけ。
それが来年の3月で引退するとのこと。

もう、30年以上も飛び続けているのだから無理もないのかもしれないが、
この飛行機をとても気に入って出来ればもう一度乗ってみたいと思って
いたので、とても残念である。

それでも引退する前に乗ることが出来て本当に良かった。
あともう少し、北の空を頑張って飛び続けて欲しいと願う。








先日、久しぶりに夜遅く荻窪のバーに行った時のこと。
ライヴがはねた後で、プレーヤー達はひとかたまりになって
話しながら飲んでいるようだった。

マスターは私の顔を見て喜んでくれ、
「みちる、ここ座れよ」と、みんなが座っているテーブルを
指差した。

ああ、まただ、と思い反射的に
「ううん、こっちでいい」と少し離れたテーブルに座ってしまった。
そして、またやってしまった、と後悔する。

私は、人見知りで、大勢の中に入るのが苦手なのだ。
特に音楽をやっている人同士というのは団結力が強い。
同じ日にライヴをやった対バンならなおさら。
その人達が車座になっている中に入っていくのはかなり億劫な
ことなのである。

元々リラックスしたいためにここに来たのだ。
気を遣って疲れるのは嫌だから、それなら最初から一人のほうが
いい。

でもマスターは、一人で居るのは可哀想だと思うのか、いつも
他の人の居るテーブルに座らせようとしてくれる。
そしてたいがい私はこうしてそっけなく一人で座ってしまうのだ。

心遣いを無にして申し訳なく思いつつ、終電が近いためみんなが
帰り始めるのを見て少しほっとする。
これで心置きなく一人で居られるからだ。
マスターともゆっくり話が出来る。

「グループ」とか「仲間」とか変に仕切りを作るのも苦手。
妙に気を遣いすぎてしまい、素の自分でいられなくなってしまうので
ある。
そんなのは仕事の時だけでたくさん。

でも、そういうのってかなりわがままなことなんだろうな、と思う。
なのであまり物を言わなくなる。
雰囲気を壊してしまってはいけないから。
そして、こんな事ばかり考えて楽しめなくなる自分がとても嫌だ。

たまには内側に向き合ってみたくなる日もある。
いや、いつもか。暗いかな。。。






遅い夏休みを取って・・・と言っても今月末なのでもうどっぷり
秋も深まってしまっているが、北海道旅行を計画している。

目的地は函館と、奥尻島。
奥尻島は、12年前北海道南西沖地震で起きた津波によって
たくさんの人命が失われ、壊滅的被害を受けた、あの奥尻島である。

人知の及ばない災害からその身を興し、人々の尽力と精神力によって
再び元の美しさを取り戻しているであろう島に、函館から
小さなプロペラ機で渡るのだ。

滞在予定はわずか2日だが、釣りをするでもキャンプをするでも
海に潜るわけでも(寒くて無理だが)なく、ただ海に囲まれた美しい
景色を眺め、「島時間」と呼ばれるスローライフにのんびり身を
委ねようと思う。

それでも都会時間に慣れてしまった世知辛さで動き回らずには
いられないかもしれないが・・・・・。





ここによく来てくれていた人が、諸事情によりネットを
もうやめると言う。

何かネット上で嫌なことがあったのだろうと推察されるが、
別に仕事でやっているわけではないのだから、嫌になったのなら
やめるのは全く個人の自由であるし、止め立てする理由はない。

ネットで知り合った人であるから、あちらがPCを繋がなくなれば
自ずと接点はなくなるわけである。

ただ・・・その人は、
「自分にはネット上で知り合った人がたくさんいて、みんな
 自分にとっては大事な友達と呼べる」と、常日頃から自サイトで
語っていた人であったので、少し考えるところがあった。

私は、会ったことも実際に話したこともない人を「友達」と
呼ぶのにはやはり抵抗がある。

例え毎日のようにコメントを付け合い、メールでやりとりを
していたとしても、その「友達」の上にはあくまで「ネット上の」と
いう但し書きがつく。
バーチャルとリアルでは、関わり方が決定的に違うからだ。
百通メールを交わすよりも、実際に一度会う方がよほどその人のことが
わかるのではないだろうか。

かといって、バーチャルな「友達」を否定する気は全くない。
相手にとっては自分もバーチャルな存在であり、それゆえの役割を
果たしていると思っているからである。

人は皆それぞれ常にいろんな鎧をまとって人と接しているわけであり、
自分を良く知り得る人に対しては、かえって気恥ずかしくて本音を
吐けない、というようなことも多い。
自分が常に抱えている悩みやコンプレックスというものを
全く知らない第三者に打ち明け、ひとりの人間同士として
接してもらいたい、と切に願うことだってある。

・・・・ただ、それにあまりに寄りかかり過ぎ、期待をし過ぎてしまうと
所詮バーチャル。。。

相手は回線を切って接触を絶つだけ。
それで煩わしいながらも少なからず築いた人間関係を、リセット出来て
しまうのだ。なんて簡単。

例えそれで傷つく事があったとしても、自分の中で消化するべきだろう。
リアルな人間関係は、もっともっとどろどろと複雑に絡み合っていて
簡単にはリセットできないのだから。
相手が常に目の前にいるのだから。





少し前のことになるけど・・・。

私がコメントを残したブログの方が、あなたのブログの
アドレスを教えてくださいというので、ここのアドレスを
教えた。
ありがとう、読んでみますねと丁寧にレスがついていたのだが、
ここを読んでくれたのかどうかは定かではない。

感想をくれるどころか、その直後その人のブログは
あぼーんされていたのだった。
表示はされるものの、記事だけ綺麗になくなっていたので
無論本人の意志だろうと思う。

その人の文章は、自分の琴線に触れるものがあったので
度々訪れていたのだけど・・・・。
何か釈然としない、不快感が残った。

所詮ネットの繋がりなんてそんなもの、と言ってしまえば
まあそれまで。




母とは、あまり折り合いが良くなかった。

母は良く言えばおおらかだが、悪く言えばかなりデリカシーに
欠ける人で、私が高校生の頃、失恋して友達に泣きながら
電話しているのを盗み聞きし、翌日の夕食の時に笑いながら
家族の前でその話をするような人であった。

10代の多感な頃はそんな母が嫌でたまらなく、よく衝突した。
あんたは可愛気がない、と言われたものだ。

父はお喋りな母と違い、普段ほとんど子供達と口を利かず、
ただ怒らせるととても恐い人だったので、あまり自分から
父に話し掛けることはなかった。

末っ子は可愛がられる、と言われるが、うちに限っては
あまり可愛がられた記憶がない。

決して仲のいいとは言えない親子なのに、世間体を気にする
母は、私の行動に口やかましく干渉したがった。

私は早く家を出たくて仕方がなかった。

結婚して家を出た時は、鎖から解き放たれた気がして嬉しかった。
ただその後、両親にろくに相談もせず離婚した時はさすがに
申し訳なく思い、その結果ますます実家に寄りつかなくなった。

別に喧嘩をしているわけではないが、やはり後ろめたいので
ある。


数年前、私はある病気で手術をすることになった。
手術の当日、両親はそろって私が入院している東京の病院まで
来てくれた。

家族の同意書にサインしてもらわなければならなかったせいだが、
ひとりで入院していて心細かったので、正直嬉しかった。

手術が終わって目を覚ますと、両親がそばに立っていた。
点滴やいろんなチューブが繋がって朦朧としている私を見て、
「替わってあげたい」と、母が涙をこぼした。

それを見て私も泣いてしまった。
麻酔が切れてきて痛かったせいもある。
ただその時、やはり親はありがたいなと思ったものだった。

今も相変わらず実家には帰っていないが、ベタベタすることの
ない、ごく普通の親子関係が築けているのではないかと思う。
まあ、離れて暮らしていることの遠慮があるせいだろう。

ただ・・・小さい頃あまり親にかまってもらえず、自分は
愛されない子なんだと思い詰めていた時期もあったせいか、
「愛されたい」願望が強い。

恋愛相手にも、愛されたい、いつも自分のことを考えていて
ほしい、甘えたい、と自分の我侭を押し付けてしまう。

・・・・恋愛の失敗を親のせいにするか。。ずるいな私。




ショウちゃんが死んだ。
13日の明け方だった。
覚悟はしていたものの、やっぱり泣いてしまった。
命あるものと暮らすことの宿命なのだと・・・強く思った。



今日は4月19日。
会社でスケジュールを確認しようとして、ふと気がついた。

4月19日という日付に記憶がある。

・・・・ああ、結婚記念日だった。
もちろん以前の、である。

おかしなことに、普段全く覚えていない、、というより
全く意識していないものが、何かの拍子にひょっこり記憶の
表面に浮き上がってくることがある。

もう離婚して何年も経つので、こんな日付のことなど
毎年4月になっても思い出しもしなかったのに、どうしたんだろう。

どちらかというと、離婚した日のほうがよく覚えている。
・・・・・8月15日である。

その日市役所へ届を提出しに行き、呼ばれるまで座って
たまたまついていたTVで高校野球をやっているのを
見ていた。
そのとき、試合を中断してサイレンが鳴り、球児達が
一斉に黙祷を捧げるのを見た。

終戦記念日だったんだ、とぼんやり思った。

そうしているうちに手続きが終わり、次に呼ばれたとき
私の名前は旧姓に戻っていた。
久しぶりに他人に呼ばれた自分の旧姓は、懐かしくもあり
また誰か違う人の名前のような気がした。

ただ「離婚が成立したんだな」と、妙に実感した一瞬だった。

自分としては背負っていたものから解放されて
足取り軽く帰ったつもりである。

しかしまあ、記念日と言えなくもないが、文章にすると
暗く重い話になってしまった。。。




最近・・・・何か無気力。

週末出かける気が起こらず、チェロの練習もしていない。

あんまり前に進めていない。

とりあえず模索中、のとりあえずが、ずっと、になりつつある。

たぶん・・・・・寂しいんだと思う。。。



部屋の椅子

夜中に降っていた雪。
積もるのかと思ったら、朝になって雨に変わった。

朝っぱらから営業の電話。
「もしもしマンション買いませんか頭金10万でいいんです家賃並みの返済で・・・」

・・・・派遣だから無理だってば。。

確かに家があるといいんだろうけど、経済的な話は別として
できればあまりひとつのところに根をおろしてしまいたくない。
何かあれば身ひとつでいつでも動けるようにしていたい。

そのせいか私の部屋は物が少ない。
友達が来ると、大抵驚かれる。
そうは言っても生活に必要なものはちゃんと揃っているので、
ホテルみたいだ、と言われたこともある。

もともと物にあまり執着がない。
以前結婚していたが、その家を出るときには自分の服しか
持って出なかった。
家具もCDも本も、アルバムすら全て置いてきた。
今の部屋には一人になってからひとつずつ揃えたものしかない。

それでも今ではいろいろ増えてきて、少しずつ愛着が沸くように
なってきてしまっている。。。

上の椅子は、そう高価なものではないがシンプルなデザインが
気に入って購入したものである。
オーダーしてから好きな色の布を張ってくれた。
これはグリーンのモケット。

それから、チェロもある。。。

もしまた、これらのものを全部置いてどこかへ行かなければ
ならないとしたら・・・・?

その時はやはりそうするだろうな、と思う。




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