今、道草中なんで・・・

常時道草中なみちるの道草日記

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友達の急なお誘いで居酒屋に出かけた。
安さがウリのチェーン店だったので、学生の団体客とかが
大勢いて、周りはかなりうるさかったが楽しかった。

独り者の身軽さですぐ出かけられるのと、彼がいなくなったせいで
誘われやすくなったらしい。
複雑だが、誘われるのは嬉しいので、できる限り行くように
している。

もともと人見知りするほうなので、友達は少ない。
大勢で車座になって話をするのより、一対一で話すほうが好き。
そのせいか、私の友達同士は全く接点がない。
皆、出会った所が違うからである。

浅く広く、の付き合いは男女とも得意ではないので、
自分の人生には愛する人が一人と、気の合う友達が数人
いてくれれば、それでいいと思っている。

ただその愛する人が一人、てのが一番難しいんだけどね・・・・。




どこもかしこもクリスマスムード一色。

ケーキ屋さんはもちろんの事、スーパーのレジのおねーさんも、
カラオケ歌広の客引きのおにーちゃんも、みんなみんな
サンタの帽子をかぶっている。

街はイルミネーションが灯り、否が応でも気分が盛上がるように
なっているが、あいにく今年はひとりである。

・・・・まぁ、よく考えれば去年は恋人がいても仕事だなんだと
放っておかれたっけか。。。
相手がいない分、変に期待しないし裏切られることもないから
気楽かもね、と強がってみたりする。

でもやはり、ひとりのほうがいいわ、と言うほど私は強くないし
ひとり遊びが好きな割に、実はかなりの寂しがり屋なので、
明日は友達と待ち合わせることにした。

友達は実家住まいなので家族もいるのだが、快くつきあって
くれると言ってくれた。

クリスマスイブは、別にカップルの日じゃないのにね・・・。
弱いな私・・・・・。




ようやく終わりに出来たと思った。
自分の中でも・・・・・。


友達から電話があり、彼と大ゲンカをしたそうだ。
些細な食い違いが積もり積もって、お互い思っていることを
斟酌なしに言ってしまったらしい。

彼女の話は延々ループして結論は出ないが、私に話を
聞いてもらって元気が出たと言ってくれた。

私は・・・・自分の話は彼女に出来なかったが、それでも
自分になぞらえて恋愛の話をすることで、やはり少し元気に
なることが出来た。
友達に感謝したいと思う。

「じゃあね、ばいばい。」と電話を切ると、3時間経っていた。




また・・・・振り回されている。
せっかく穏やかに過ごせるようになってきてたのに。
相手に対して腹立たしく、そして何より自分が情けない。

・・・後で読み返して嫌になるかもしれないけど、
それでもここに書くと少し気持ちが落ち着くから。。。
少しだけ、外から自分を見つめられる気がするから・・・

もう眠ってしまおう・・・。




いつからか、自分の中に沸き起こるさまざまな
感情・・・・哀しみ、寂しさ、辛い、苦しいといった
そういう耐えがたい想いを、そっとやり過ごすのが
上手になった。

それらを乗り越えるのではない。
乗り越えるということは、正面から向き合い、
立ち向かわなければならない。
そんな辛い作業はしたくないので、自分の心の中を
荒れ狂っている嵐が通り過ぎてくれるのを、ただひたすら
じっとやり過ごすのである。

鏡を見ると、決まって不安げな寂しい顔をした自分が映る。
「だいじょうぶ?」と問い掛けてみる。

・・・・うん。きっと、だいじょうぶ。

真綿で傷をくるんで、少しずつ少しずつ薄皮ができるように
癒えていってくれることを願う。

その間は、少し自分を甘やかすのを許してあげようと思う。




弱さを再認識して戸惑い落ち込む。

気持ちはくるくる変わるし、例によってあれこれ思い悩む。

大体こんな時間に起きていて考える事にろくなことはない。

週末の昼夜逆転を直さなくては・・・・・・。



父は、私が幼い頃肺結核を患った。

転地療養を勧められ、住み慣れた東京から信州のとある田舎町の
サナトリウムに入った。
堀辰雄の「風立ちぬ」の舞台となったところである。

当時、私はまだ本当に幼かったので、父が入院していた頃のことは
全く覚えていない。
もちろん姉、兄も含めて幼子を結核患者のところへお見舞いに
連れて行くわけもない。

幸い病気は良くなったが、再発を恐れて両親はそのまま空気のいい
その土地に住みつく決心をした。
東京の小金井から信州へ引っ越す日、祖母が「元気でね」と
私の頭を撫でながら泣いていたのだけは覚えている。

それからずっとその町で育った。両親はいまでもそこで健在である。

父はその後ずっと薬は飲んでいたが再発もせず、風邪も引かないほど
元気になった。
横浜育ちだった母はすっかり田舎のおばさんになり、たまに東京に
出てきても、右も左もわからない。

・・・・・私は、もう長いことその町へ帰っていない。

理由はいろいろあるが、あまり長いこと帰っていないので、何かきっかけが
ないと帰れなくなってしまっている。
ただ、拠所ない理由が出来て帰るのは嫌なので、普通の週末にひょっこり
顔を見せる、というような帰り方をしようかと思っている。

よけいに驚かれるかもしれない・・・。




別れは、1ヶ月前だった。
私達はもう幾度となく、そんな事を繰り返していた。

大好きな人だったが彼と居ると私は疲れ、振り回され、
心が不安定になり、壊れそうだった。

別れると嘘のように気持ちが平穏になった。
だがその代わりに例えようもない喪失感と向き合わなければ
ならなかった。

それに耐えきれずメール1本で戻ってしまった。
そんな事の繰り返し・・・・・。

でももう戻ることはないだろう。
何度やり直してもダメなものはダメなのだ。
それがよくわかった。

一緒に居て楽しいことより、辛く苦しむことのほうが多いのであれば
離れたほうがいい。
そう頭ではわかっている。
でも、気持ちがついていかない。

・・・・寂しい、寂しい、寂しい、寂しい。

悲鳴を上げている自分がいる。
わかっている。何度も経験した。
慣れることはない。
むしろ自己嫌悪でいっそう傷は深まる。

だから・・・前に進まなくちゃ、と自分に言い聞かせる。
前に、前に、前に。

ここに書けるようになったのも、半歩進んだからだと・・・思っている。







ショウちゃん

ショウちゃんは我が家の同居人だ。
正確には同居魚・・・・早い話がペットである。
本名を「ショウゾウ」という。

飼い始めたとき名前がまだないと言ったら、友人がこの名前を
つけてくれた。
当時その友人がちょうど「仁義なき戦い」にハマっていて、
「ショウゾウ」はその主役の菅原文太の役名なのだそうだ。

「仁義なき戦い」を観たことがなかったので、
「すぐ死んじゃいそうで縁起悪くない?」と聞くと、
「主役なので意外に生き残るよ」と友人は笑った。

その名前のせいかどうかわからないが、私の家に来てもう1年と3ヶ月。
ちっちゃなビンの中に今日もぼんやり浮かんでいる。

タイに住む熱帯魚で現地名を「ベタ」。
英語名では「Fighting Fish」。
名の通り気性が荒く、雄同士一緒にするとどちらか死ぬまで闘うという。

飼い方は極めて簡単。
空気呼吸ができるので、ビンでも飼うことができる。
私でも大丈夫なわけだ。

熱帯魚なのでさすがに寒さには弱いと思い、去年の冬にヒーターを
買ってあげた。
ビンの下に敷く、まあホットカーペットみたいなものである。

魚なのでもちろん物を言うわけではないが、部屋に帰るとつい
ショウちゃんに「ただいま」と言ってしまう。

ただ・・・実は最近知ったのだが、寿命がそう長くないそうだ。。。
うまく飼って2〜3年という。
熱帯魚店で買ったのだが、そのとき生後どのくらいだったのかは知らない。

「ショウちゃんは主役なんだから長生きするはずなんだよ」と、
いつも言い聞かせることにしている。





ブログ始めました。

自分のプライベートをネットで公開するなんてあり得ない!と
思っていましたが、心境の変化があり、一種の備忘録として
何か残しておこうと思うようになりました。

まあ、怠け者なので日々の更新も危ぶまれますが、
ぼちぼち書いていこうと思います。



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